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自治体名富山市
都道府県富山県
支庁
コード16201-9
面積1,241.85
境界未定あり
隣接自治体射水市滑川市砺波市
南砺市上市町立山町
舟橋村
長野県大町市
岐阜県飛騨市高山市
ケヤキ
アザミ
シンボル名市の花木
鳥などツバキ
郵便番号930-8510
所在地富山市新桜町7番38号
center
電話番号076-431-6111
外部リンク富山市役所
経度
緯度
位置画像基礎自治体位置図|16|201
特記事項ここでのデータは2005年4月発足の新市制のものである。
旧市制のデータは#旧・富山市に掲載する。


富山市(とやまし)は、北陸地方富山県の中央部から南東部かけて位置するである。富山県の県庁所在地であり、国から中核市の指定を受けている。また、国際会議観光都市でもある。


概要


越中富山の売り」で名を広めた富山藩城下町として栄えた地域、浄土真宗の古刹聞名寺(八尾)の門前町として発展した地域、立山信仰の登山者たちの宿場町として人々が行きかった地域などからなる。地形も変化に富み、水深約3,000メートルの富山深海長谷から標高2,986mの水晶岳まで、ホタルイカ雷鳥をはじめとしてさまざまな動植物が生息している。
富山県の約3割の面積を占め、全国の県庁所在地の中で2番目に広い(2006年10月1日時点)。一方、人口密度においては下から3位となっている。2005年4月1日、(旧)富山市、上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町婦中町、山田村、細入村の7市町村による新設合併によって現在の富山市が発足した。
方言は富山弁である。
(※ 2005年3月までの富山市に該当する項目については、「#旧・富山市」で述べる。)

地理


地形


富山県の中部に位置していて、県の面積の3分の1を占める。西部になだらかな呉羽丘陵が横たわるほかは、神通川常願寺川などの川によって形成された沖積平野の富山平野が広がる。このため、南東部を見渡すと雄大な北アルプス立山連峰を一望できる。北部に目をやると、豊富な魚介類の宝庫である富山湾が広がっている。
市街化区域内は区画整理され、東西と南北に碁盤目状に延びる道路と、富山駅を起点とした5本の放射状道路により構成された美しい近代計画都市となっている。一方、古い町並みの残る八尾地区は「越中おわら風の盆」で全国的に知られ、多数の観光客が訪れる。
地名の由来
トヤマの地名は、室町幕府直臣の吉見詮頼が、1398年(応永5年)5月3日に「越中国外山郷地頭職」を観勝寺に寄せた寄進状(富山市郷土博物館所蔵、富山市指定文化財)が初見。外山郷は、越中守護所放生津(現・射水市)があった射水郡の東端である御服山(呉羽山)の東麓(射水郡からみて外側)に位置する。この地形から、外山の字が当てられたととする説がある。「富山」字は戦国時代に初見されるが、江戸時代は「富山」「外山」の両方が使用されている。
近年、深山に対する外山(とやま)という説も出された。

気候


北陸地方の他の地域と同様、年間降水日数が多く、特に冬期は多量の降水を見るが、地形的な問題で、冬の季節風が比較的弱いものの、フェーンの影響を特に受けやすい。

隣接している自治体


富山県
長野県
岐阜県


歴史


黎明の時期

富山市街地に相当する神通川下流域は、複合扇状地の恩恵により、大化の改新よりも前から、北陸道における農作地として存在していた。
神通川西岸には、古代氏族である射水臣氏が有力氏族としており、この射水臣氏は、国造である大河音足尼を出した伝統的氏族として知られる。呉羽山にある古墳群は、この射水臣氏の血統の祖であると考えられている。天平期においては、現在の富山市東部(上飯野から天正寺を経て西福沢の丸山に向かう一帯を基線とする)は東大寺の階墾田「大藪庄」と呼ばれていた。また、更に東部において、現在の滑川市を中心とした地域は「堀江荘」と呼ばれた。
平安期に入ると、新たに伊勢神宮領弘田御厨(富山市広田地区)、長講堂領新保御厨(富山市新保)、新熊野社領立山外宮(富山市太田若しくは吉岡)などの荘園が立荘された。
また、北陸道における駅として、磐瀬(富山市岩瀬)、水橋(富山市水橋)が配置されていた。そのうち水橋は、「枕草子」において「わたりは、しかすがのわたり、こりずまのわたり、水橋のわたり」として記されている。
荘園の拡大と御家人

律令制度において、貴族社会を根底から支える貴族私有地制度「荘園」は拡大し、白河鳥羽後白河の三代院政期において、さらに増加した。当時、実質院分国であった越中国において、藤原顕隆の勧修寺一族の遠戚である宮道氏が留守役として下向していた。
白河法皇が死去すると、在地において知行国として荘園を管理する体制が現れた。堀江荘は藤原顕隆一門(勧修寺氏)が、般若野荘・宮川荘を藤原公能一門(徳大寺氏)が、高野荘を藤原実行一門(三条氏)が支配した。勧修寺氏の留守役である宮道氏は堀江荘や太田保(富山市太田)を私領支配し、その分家筋である太田氏や蜷川氏の祖となった。その他の荘園も、同様に在地の私領支配へと移っていった。
源頼朝の知行である鎌倉時代になると、南部に広がる太田保が北陸道大将軍に任ぜられた幕府の御家人北条朝時(名越)所領となった。これは、平氏の知行もなかなか受け入れず、木曽義仲に与し、源義経の逃亡路となったという、幕府にとって都合の悪い越中国の国人達を牽制したものである。その一方で堀江荘における宮道氏は荘園を安堵され、太田氏も太田保を除く開発領を安堵されており、在地の者に対する御家人への道を残している。
このころ、名越朝時の被官として後の新川郡分郡守護代家である千葉一族椎名氏が入部し、在地に土着した。
鎌倉幕府の滅亡と守護大名の台頭

越中国守護北条朝時(名越)は、執権北条氏における有力庶流の血統であったため、北条氏嫡流の弾圧を受け続けた。そして、名越時有の代になると、六波羅探題が壊滅、在地武士の離反にあって最後は一族79人が放生津城にて割腹し、最期を遂げた。時近くして、鎌倉において、北条高時が自害、鎌倉幕府は滅亡した。
南北朝時代に入り、観応の擾乱で活躍した越中守護桃井直常は、太田保布市の興国寺周辺を拠点として反幕府運動を展開した。直常は一時幕府に帰順したこともあるが、斯波氏との対立により再び越中に下向して反抗した。桃井氏は長沢(富山市長沢)などで抗戦を繰り返したが、1371年応安4年)に砺波郡五位荘の合戦後、直常は消息不明となり、斯波氏による越中掌握が進んだ。一方、神通川と常願寺川に挟まれた地域に広く拡大した太田保は、室町幕府管領細川家領となり、太田保北部に柳町(富山市柳町)などの町が誕生する。斯波氏と細川氏は幕府内で対立関係にあり、斯波氏が越中守護として桃井氏を没落させた後も細川氏は太田保を所領し続けたため、桃井氏の残党や国人は、太田保に逃げ込み、細川氏の庇護を受けた。この頃、太田保領内に富山郷が現れる。
1377年(永和3年)、越中国人の謀反が起き、守護斯波氏と合戦になった。その破れた越中国人を管領細川頼之は太田保で保護し、そこに斯波氏が攻め込むと言う事態に至った。激怒した細川頼之は代官篠本氏を派遣し斯波氏と対峙させ、事態は一触即発の状況となった。この状況が続き、やがて京における細川追い落としの動きが強まり、細川頼之は管領を罷免され、斯波義将が管領となった(康暦の政変)。ところが、細川氏は太田保を手放さずにいたため、ついに越中国守護は斯波氏から畠山基国に譲られる。以降160年にわたり、越中国の守護は最後の畠山稙長に至るまで、畠山氏の世襲となる。
分郡守護代の台頭

当時の越中は、新川郡を椎名氏が、射水郡・婦負郡を神保氏が、砺波郡を遊佐氏が「守護役」から発展した分郡守護代として被官していた。守護代の下には「又守護代」や「郡使」などと呼ばれた国人たちがいた。
越中守護畠山持国の跡目争いから生じた応仁の乱の際には、これら分郡守護代達は畠山政長の臣下として従軍し、なかでも神保長誠は、政長自決の後、政長の立てた将軍足利義材を越中放生津に迎え、将軍公権を二分する幕府政権(越中公方)を構えるに至った。この際も、越中新川郡の椎名氏などを含む諸国の畠山守護代たちは足利義材の受け入れに協力し、義材が越中を離れるまで分郡守護代達の足並みは揃っていた。だが、政長と言う要を失った畠山氏は、各地の国人たちを束ねることが出来ず、越中においても、各分郡守護代の勃興が起こり、細川氏の庇護を受けた本願寺による一向一揆が力をつけるなど、歴史の幕は次なる権力闘争へと移っていった。
城下町の形成

戦国時代以降、婦負郡・射水郡分郡守護代であった神保長職によって太田保北端を流れる神通川の自然堤防上に富山城が築城され、城下町としての富山町が発展した。一向一揆の平定により越中国の守護となった佐々成政が入城し、柴田勝家と伴に上杉軍の魚津城を攻め落とす拠点となった。
当時、佐々成政によってなされた治水事業は河川の氾濫を制えて、以降の下流域全体の発展に至った。
江戸時代

江戸時代に入ると、南部に土方氏の布市藩が成立した。その後加賀藩二代藩主前田利長が富山城を隠居地とし、布市藩は能登に転封された。1609年慶長14年)に富山城が焼失したため、利長は高岡へ移った。その後、利長養嗣子となった三代藩主前田利常が隠居する際、その子前田利次に越中54万石のうち婦負郡一円の地と富山を含む新川郡の一部10万石を分封し、富山藩が成立した。
この分封により、富山城下は富山町として現在の富山市中心市街区が整備され発展した。また、富山藩二代藩主前田正甫(利次の子)が製薬を推進したため、の製造と販売を一括して行った上にそれを顧客の自宅に配置するという特殊な業態を創造し、それを中心とした産業が発展した。
中世以来三津七湊の一つとして栄えた岩瀬地区では北前船などの日本海航路の拠点として発展した。
明治維新から第二次大戦まで

1871年8月29日明治4年7月14日)の廃藩置県により、富山藩領は富山県となり、加賀藩領は金沢県となった。同年12月31日(旧暦11月20日)に富山県は金沢県の礪波郡・新川郡とあわせて新川県となった。1873年(明治6年)9月6日には新川県の県庁が魚津から富山城址に移転した。1876年(明治9年)4月18日に新川県は石川県に編入されたが、1883年(明治16年)5月9日には石川県から新川県が分離され、富山県に改名された。以来、富山は富山県の県庁所在地となった。
1889年(明治22年)4月1日市制施行の後、臨海部を中心として機械工業や化学工業による工業化が進んでいた。1899年(明治32年)に北陸本線が開通し、江戸時代から続く日本海航路の拠点である岩瀬港や、甲信地方東海地方とを結ぶ交通の要衝として発展していた。
岩瀬港周辺では廻船問屋が栄華を極め、特に大きな廻船問屋は馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家の五つの問屋であった。なかでも馬場家はその八代目の妻である馬場はるが旧制富山高等学校の設立に尽力し、現在の金額で総額160億円もの寄付を行い、富山市初の名誉市民となっている。
また、売薬業においても江戸時代から着々と積み重ね、大きく成長した薬問屋が隆盛していた。中でも荻原氏、中田氏、金岡氏、密田氏、松井氏などが特に大きな富山市在地の問屋として知られていた。彼等の中から、北陸銀行初代頭取である中田清兵衛や、北陸電力の前身となる富山電灯の創業者である金岡又左衞門が生まれている。
第二次世界大戦の末期、1945年昭和20年)8月2日富山大空襲によって、死者2275人を出し、市街地の99.5%が焼失する被害を受け、城下町としての入り組んだ町並みや面影は破壊された。しかし、富山市民はその焦土の中でも文化を積み上げる行為を断念しなかった。爆撃を受けた富山薬学専門学校では、富山化学工業の社長であった中井敏雄は私財を投じてその復興を助けた。また、多くの市民が復興募金に応じ、富山市街区の近代都市としての再生を助けた。
第二次大戦後(昭和)

1950年戦後の焼け野原になった富山市において都市計画が策定された。富山駅を中心とした放射状道路と碁盤目の直交した道路によって構成された近代都市計画が推し進められた。戦前から存在した港湾設備や重化学工業や機械工業の復興が行われ、高岡市新湊市(現:射水市)などの臨海部を占める地区と一体となった工業地帯を形成した。更に工業の発展とともに需要の高まりを見せた電力供給のため、河口域には大規模な火力発電所が整備された。そうして富山市は高度経済成長期を駈け抜けた。
1955年頃-1970年代イタイイタイ病が発生。これは、四大公害病の一つで、岐阜県三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)による鉱山製錬に伴う未処理廃水が神通川に流入、下流域である熊野、神明(旧富山市)、婦中(旧婦中町)で発症する人が現れた。
平成

2005年4月1日:富山市(~2005年3月)、上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町婦中町、山田村、細入村の7市町村が新設合併して、新市制の富山市(2005年4月~)が発足した。(平成の大合併
2007年2月8日:富山市の中心市街地活性化基本計画が第1号として認定される。436ヘクタールが対象で、病院や介護施設、商店を中心部に集約し、高齢者らが次世代型路面電車などを核に、車に頼らず暮らせる環境づくりを進める計画。バス路線の支援事業やJR高山本線の増便事業や富山ライトレールなどの公共交通機関支援事業を実行している。


人口




行政


政策


公共交通を活かしたコンパクトなまちづくり
郊外型、拡散型の町づくりが進んだ結果、富山市では車での移動には便利であるが、車がないと大変不便なまちになってきた。このように、人口・都市機能が市域全般に広がった状態では、道路の整備やごみの収集などの公共サービスのコストがかさむ傾向がある。さらに、人口が減少し、三位一体の改革で国からの交付金や補助金が減るなかでは、社会の維持が難しくなっていく。
そこで、富山駅を中心に放射状に伸びる鉄軌道や幹線バス路線の各駅を拠点に町を整備している。このようにすることで、車がなくても便利で、さらに公共サービスのコストを抑えることができるとしている。そのため、次のような施策を行っている。
*まちなか居住推進事業 - まちなかでの住宅取得費用や賃貸住宅の家賃への補助を行い、都市地区への人口回帰を促す。2006年、中心市街地の人口は増加に転じた。
*ライトレールの開業 - 利用者の減少が深刻な問題となっていた富山港線を一部路面電車化して本数を増やし、またバスの周回時刻に合わせるなどして利便性を向上させた。
*高山本線(活性化)社会実験 - 運行本数を増やすとともに、各駅でフィーダーバスの運行や無料駐車場を設置することで、利用者の増加を図る試み。
*中心市街地活性化基本計画 - 人口減少・少子高齢社会に対応した、多様な都市機能がコンパクトに集積したまちを実現するために策定する。国の1号認定が下り、補助金を受けられることになった。
現在、20年後の都市の将来像を描くために、都市マスタープランを策定中で、市民の声を集めている。

行政機構


2005年4月1日現在の職員数は4,541人。2010年度までに4,311人以下に削減(5.1%の削減)することを進めている。同規模の都市と比べると市民1人当たりの職員数はまだ多い。現在、民間委託・民営化を進めたり、PFIの活用を行っている。地区センターでは、各種申請、書類の発行が行えるようになっている。(2006年11月25日現在)
*助役 
:*収入役
*出納課
*上下水道事業管理者
**上下水道局
*消防局長
行政窓口
教育行政
教育総務課 - 富山外国語専門学校
統合校整備等推進室
学校施設課
学校教育課 - 教育センター、野外教育活動センター、小学校・中学校・幼稚園
学校保健課 - 学校給食センター
生涯学習課 - 民族民芸村管理センター、埋蔵文化財センター、公民館、市民学習センター、図書館、科学博物館、郷土博物館、富山ガラス造詣研究所、日本海文化研究所
スポーツ課
大沢野教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、大沢野生涯学習センター、大沢野ふれあいセンター、大沢野文化会館
大山教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、大山文化会館、大山歴史民族資料館
八尾教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、八尾コミュニティセンター、八尾おわら資料館、八尾美術保存展示館、八尾化石資料館、八尾スポーツアリーナ
婦中教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、婦中ふれあい館、婦中体育館
山田教育行政センター - 小学校・中学校、公民館
細入教育行政センター - 小学校・中学校、公民館、猪谷関所館

歴代市長


公選前
氏名 就任年月日 退任年月日
初代 前田則邦 1889年6月2日 1895年5月27日
2 市川伯孝 1895年6月1日 1901年10月1日
3 加藤厚寛 1901年12月13日 1907年12月12日
4 関野善次郎 1907年12月12日 1909年5月7日
5 井上政寛 1909年8月18日 1915年8月17日
6 稲垣宗正 1915年9月4日 1919年1月17日
7 牧野平五郎 1919年2月17日 1928年5月10日
5 井上政寛 1928年5月21日 1930年7月17日
8 上埜安太郎 1930年8月2日 1933年3月9日
9 金山米次郎 1933年3月11日 1934年12月19日
10 野村嘉六 1934年12月20日 1935年5月14日
11 平田紀一 1935年5月17日 1936年2月1日
12 山崎定義 1936年2月6日 1940年2月5日
13 森勇 1940年3月2日 1944年2月26日
14 石坂豊一 1944年3月1日 1946年12月4日

公選
氏名 就任年月日 退任年月日
初代 尾上三郎 1947年4月10日 1950年5月9日
2 富川保太郎  1950年6月27日 1956年2月7日
3 湊栄吉 1956年3月16日 1971年3月14日
4 改井秀雄 1971年3月15日 1983年3月31日
5 塩谷敏幸 1983年4月25日 1985年12月日
6 正橋正一 1986年1月27日 2002年1月25日
7 森雅志 2002年1月26日 2005年3月31日
初代 森雅志 2005年4月24日 現職 

財政


2007年度の当初予算規模は、約3,677億(+99億,+2.7%)である。合併して新富山市となった2005年度の当初予算(約4,410億)に比べると、約△16.6%となっている。
水道事業や病院事業などの企業会計で、520億の増加が著しい。
2006年度決算(平成19年9月30日時点)は、約△63億(昨年比約△24億)で、赤字である。
市債残高は、約4,420億(前年比約△22億)である。(2006年9月30日現在)
なお、2006年度の当初予算規模は次のようになっている。

市の行政機関


消防


郵便(日本郵政)


越中八尾郵便局
大沢野郵便局
上滝郵便局
呉羽郵便局
富山北郵便局
富山中央郵便局
富山南郵便局
古里郵便局
細入郵便局
水橋郵便局

広域行政


富山地区広域圏クリーンセンター(立山町)
富山地区広域圏リサイクルセンター・リサイクルプラザ(富山市)
富山地区広域圏事務組合 常願寺ハイツスポーツ公園(立山町)

県の機関



警察

富山中央警察署
富山北警察署
富山南警察署
八尾警察署

国の機関



国際機関


行政区域の変遷




立法(市議会)


富山市議会は、定員48人。

市議会の組織


常任委員会
*総務委員会
*厚生委員会
*経済教育委員会
*建設委員会
議会運営委員会
特別委員会
*決算特別委員会(一般・特別、企業)

会派の構成


会派名 議席数 代表者
自由民主党 33 五本幸正
民政クラブ(民主党中心の会派) 5 島田幸男
公明党 4 吉田勉
社会民主党議員会 3 岩脇秀三
日本共産党 1 赤星ゆかり
市民派クラブあゆみ 1 志摩愛子
倫誠 1 砂子阪和夫



司法


裁判所


その他司法機関




姉妹都市・提携都市


海外の姉妹都市
(※ウェリントン市は旧大沢野町、残る3つは旧富山市にて締結された物。)
1979年(昭和54年)11月8日提携
1981年(昭和56年)5月7日提携
1989年(平成元年)6月13日提携
1992年(平成4年)8月24日提携


経済


富山市は富山県の経済における中心地である。
富山経済は、廃藩置県後の明治期の富山県においてその基を築いた。代表的なものには、北陸最大にして地方銀行全国第二の規模を誇る北陸銀行や、全国と比較して最も安価な水準の電力を供給する北陸電力の本店が富山市に所在し、富山県の経済活動の基盤を形成している。
また、富山県の経済を側面から支えている「富山大学」は、富山市民や団体の寄付行為によって生まれた旧制富山高等学校や富山薬学専門学校の流れを汲んでいる。

商業


中心商業地は、総曲輪・西町界隈であるが郊外型SC等の進出による打撃は大きく、現在求心力を低下させている。2007年9月に新富山大和を核とした商業施設『総曲輪フェリオ』が開店したが、旧大和跡地については明確な利用方法が決まっていない。更に大手百貨店の西武富山店が撤退し、中心部のさらなる求心力低下が危惧されている。この状況を打開すべく、再開発構想が複数提案されている。中心商店街は総曲輪通り商店街と中央通り商店街である。
この二つの商店街はアーケードで連続しており、二つを合わせたアーケードの長さは1kmにもおよび北陸最大の規模になる。しかしその反面、長すぎるため、効率が悪く中央通り商店街の一部分はシャッター商店街と化している。中央通り商店街の一部を商店街と住宅街に分けて商店を一箇所に集約するという構想がある。
行政側は駅周辺に商業ビルを建てた為に、中心部との客の食い合いとなり本来は総曲輪・西町が中心部であるが、実際、中心部は駅前なのか、総曲輪・西町なのか曖昧になっている感がある。現在も新幹線開通に伴い富山駅の高架化・区画整理も予定されており、駅周辺は今後も発展すると考えられる。
夜の歓楽街は桜木町である。表通りに面していないため夜でも分かりにくい場所にあるが、飲食店街としては県内最大である。

工業


富山市は、日本海側屈指の工業都市である。
戦前より続く産業として、江戸期までさかのぼる事が出来る「くすりのとやま」に代表される製薬産業や、全国屈指の製造量を誇るベアリング等の工業機械製造業がある一方、昭和後期のエレクトロニクスやロボトロニクス関連産業の隆盛により、地域内で蓄積された先進的な微細加工技術によって精密工業製品や各種微細加工素材、精密自動車部品、高機能ロボットなどの製造業が台頭している。
これら工業の製造研究拠点としての発展を裏付けているものは、安価な電力供給と良質で豊富な工業用水を容易に得られる地理的条件、富山大学・富山県を中心とした産学官連携研究施設の充実、そして重要特定港湾「伏木富山港富山地区」や北陸自動車道東海北陸自動車道等による太平洋側工業地域と環日本海側諸国への交通の利便性を兼ね備えた地域である事が挙げられる。

農業・水産業


市郊外には水田が広がり、富山市でとれる米は「八町米(はっちょうまい)」という名前でブランド化されている。呉羽地区ではの生産が盛んであるが、高品質だが流通量の問題から半分以上が県内で消費されている。また、旧八尾町の黒瀬谷地区では、わずかながらブドウを生産している。
水産業は、海岸部西部の四方と東部の水橋に漁港がある。また、かつては神通川にマスが遡上しており、それによってできた名産が鱒寿司である。

伝統工芸


名産品


青果
富山市の果実生産の97%(2702t)を占めるは、富山市の全耕種出荷額の9%を担っている。また、県内出荷量の70%を占め、県内の梨生産の中心である。全国の出荷量に対しては0.8%を占めている。
富山市では呉羽、老田が産地であり、ここで採れる梨は呉羽梨と呼ばれている。小杉・大門地区(射水市)で作られる梨も同様に、呉羽梨と呼ばれる。
呉羽の農業は、もともと稲作が中心であった。しかし、呉羽の多くを占める呉羽丘陵は水の便が悪く、日照りが続くと田が干上がってしまう土地柄だったため、1920年代から梨作りがはじめられた。現在呉羽丘陵には梨畑が広がっている。
海産物
菓子
吟醸酒作りに早くから取り組んだ。1972年から鑑評会の金賞受賞の常連組。
嘉永年間(約150年前)創業。全国新酒鑑評会では、1992年に初出品で金賞を受賞。
1916年創業。
文化年間(1808)創業。
1877年創業。
1926年創業。
鱒寿司
富山駅駅弁の調製元。「鱒寿司」を「ますのすし」の商品名で売り出したのはここが最初。

主な企業


本社を置く上場企業
本社を置く非上場企業

工場・事業所を置く企業


マスメディア


テレビ局
ケーブルテレビ
富山市ケーブルテレビ八尾センター(市営)
ラジオ局
新聞社


教育


大学・短期大学


高等専門学校


高等学校


*私立
富山第一高等学校
富山国際大学付属高等学校
不二越工業高等学校
龍谷富山高等学校
高朋高等学校
片山学園高等学校
星槎国際高等学校富山学習センター

中学校


富山大学人間発達科学部附属中学校
*私立
片山学園中学校

小学校


富山大学人間発達科学部附属小学校

特別支援学校


専修学校


各種学校


学校教育以外の施設


生涯学習カレッジ

職業訓練



文化施設


図書館



ホール・集会所


美術館


ジョルジュ・ルオーの所蔵が238点ある。

博物館・資料館



その他文化施設


体育施設


市の施設

県の施設



健康・福祉・子育て・衛生


中核病院


健康



福祉・子育て施設



清掃・衛生・環境施設




スポーツ


本拠地を置くスポーツチーム
体育施設:#体育施設を参照


交通


空港


鉄道


JRは富山駅を中心に、南北に路線が広がっている。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
富山ライトレール
朝ラッシュ時は10分おき、午前中から夜までは15分おき、深夜は30分おきの運行となっている。
富山地方鉄道
以前はこの他にも笹津線や、富山市と旧新湊市を結ぶ射水線が存在していたが、いずれも廃止された。

道路


高速道路
有料道路
一般国道
主要地方道
;道の駅

バス路線


高速バス
東京 - 富山線(西武バス・富山地方鉄道)
ドリーム金沢号(JRバス関東)
東京・さいたま - 富山・金沢線(日本中央バス)
富山 - 大阪線(阪急バス・富山地方鉄道)
北陸道昼特急大阪号・北陸ドリーム大阪号(西日本JRバス)
東海北陸道高速バス(名鉄バス・富山地方鉄道)
北陸ドリーム名古屋号(JR東海バス・西日本JRバス)
路線バス

隣接市町村への連絡


隣接する市町村のうち、鉄道線により直接結ばれているものに限定した。
富山県
JR北陸本線 小杉駅、越中大門駅
JR北陸本線 滑川駅、東滑川駅
富山地方鉄道本線 中加積駅、西加積駅、西滑川駅、中滑川駅、滑川駅、浜加積駅、早月加積駅、越中中村駅
富山地方鉄道本線 寺田駅、越中泉駅
富山地方鉄道立山線 稚子塚駅、田添駅、五百石駅、榎町駅、下段駅、釜ヶ淵駅、沢中山駅、岩峅寺駅、横江駅、千垣駅、立山駅
富山地方鉄道上滝線 岩峅寺駅
富山地方鉄道本線 越中舟橋駅
岐阜県
JR高山本線 飛騨古川駅、杉崎駅、飛騨細江駅、角川駅、坂上駅、打保駅、杉原駅

船舶


交通の歴史


利用者の減少が深刻な問題となっていた富山港線を一部路面電車化して本数を増やし、またバスの周回時刻に合わせるなどして利便性を向上させた。さらに、公共交通を生かしたコンパクトなまちづくりにつなげて行こうという市の施策の一つ。


名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事


自然景勝地


百選

遺跡・旧跡


神社仏閣


(越中三坊主の一人、持専房が開山した「梅沢山 持専寺」は、富山市梅沢町の地に於いて、本願寺派の寺院として廃寺となった。)

公園


温泉


レジャー



  1. 美術館、#博物館・資料館も参照


極楽坂エリア
らいちょうバレーエリア
粟巣野スキー場

祭事・催事


土産



  1. 名産品も参照


飛越ふれあい物産センター「林林」


富山市出身の有名人


経済界



政界



学界


文化



芸能


;アナウンサー

スポーツ





富山市を舞台にした作品


文芸



音楽


アニメーション




旧・富山市


自治体名富山市
都道府県富山県
支庁
コード16201-9
面積1,241.85
境界未定あり
隣接自治体射水市滑川市砺波市
南砺市上市町立山町
舟橋村
長野県大町市
岐阜県飛騨市高山市
ケヤキ
アザミ
シンボル名市の花木
鳥などツバキ
郵便番号930-8510
所在地富山市新桜町7番38号
center
電話番号076-431-6111
外部リンク富山市役所
経度
緯度
位置画像基礎自治体位置図|16|201
特記事項ここでのデータは2005年4月発足の新市制のものである。
旧市制のデータは#旧・富山市に掲載する。
廃止日2005年4月1日
廃止理由新設合併
廃止詳細旧・富山市、大山町、大沢野町、婦中町、
八尾町、山田村、細入村→新・富山市
現在の自治体富山市
自治体名富山市
都道府県富山県
支庁
コード16201-9
面積208.81
境界未定なし
人口322,192
人口の時点2004年9月30日
隣接自治体新湊市下村小杉町
婦中町大沢野町、大山町、
立山町上市町滑川市
ケヤキ
アザミ
シンボル名市の花木
鳥などツバキ
郵便番号930-8510
所在地富山市新桜町7番38号
電話番号076-431-6111
外部リンク
経度
緯度
位置画像


ここでは、2005年3月までの富山市に該当する事項について述べる。
富山市(-2005年3月31日)は、北陸地方の西部、富山県の中部の
2005年4月1日に、7市町村の合併によって、富山市(2005年4月1日-)の一部となった。このうち、2005年3月までの富山市が、旧・富山市と呼ばれる。

合併前後での違い


新富山市は新設合併によって設置された自治体であり、2005年3月までに存在した富山市は、合併によって廃止されている。制度上では、新富山市と旧富山市は、全く別の自治体である。
については、旧富山市の市制施行時の区域は上新川郡に属していた。
旧富山市の市役所本庁舎は、現在の富山市の市役所本庁舎に当たる。


関連項目




外部リンク


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