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この項目では東京都に本社がある小売業について記述しています。北海道の百貨店については丸井今井を、その他についてはマルイを、その他の用法については東京都に本社がある小売業_(曖昧さ回避)をご覧ください。

社名 株式会社 丸井
英文社名 MARUI CO.,LTD.
ロゴ 280px
種類 株式会社
略称 マルイ、OIOI
国籍 JPN
郵便番号 164-8701
本社所在地 東京都中野区中野四丁目3番2号
電話番号 03-3384-0101(代表)
設立 2007年(平成19年)10月1日
業種 小売業
事業内容 小売業など
代表者 川下雄司(取締役社長)
資本金 1億円
売上高 単独:4,062億66百万円(2007年3月期・旧丸井の小売事業)
決算期 3月末日
主要株主 株式会社丸井グループ 100%
関係する人物 青井忠治(創業者)
外部リンク http://www.0101.co.jp


株式会社丸井(まるい、OIOI・0101、英称:Marui Co., Ltd.)は、日本で首都圏を中心にファッションビルなどの商業施設を展開する企業の一つである。
2007年10月1日、(旧)株式会社丸井が、「株式会社丸井グループ」に商号変更し、「小売事業」、「カード事業」、「小売関連サービス事業」からなる持株会社制へ移行。その際に、新たな小売事業会社(新)「株式会社丸井」が設立されている。


概要


日本百貨店協会には属さず、店舗形態は「専門店」に近い。グループ3事業のうち、小売事業は売上の76.4%を占める。ファッションを軸に、家具・雑貨・メガネ・宝石など、多くの商品を自前主義で展開。小売事業には、食品レストラン通信販売Eコマース事業も含まれる。首都圏では大きな若年層シェアを獲得している。グループの連結子会社は18社、小売事業の関連会社は(株)丸井も含め10社あり、グループ連結の売上高営業利益率は7.9%, 小売事業単独では4.5%と、伊勢丹(連結4.1%, 国内百貨店事業3.76%)などより高い。
かつてはテレビコマーシャル駅のソバの丸井」「赤いカードの丸井」のキャッチコピーのもと、駅前一等地に次々と出店することでブランド認知度を高め、かつてのDCブランドブームに乗って若者を取り込んだ。店舗形態は、丸井、マルイシティ、マルイファミリー、in The Room, FIELDなどがある(後述)。
1960年に日本で初めて「クレジット」という名称を使用した「クレジット・カード」(現在の「エポスカード」)を発行。ファッションのイメージが強い丸井であるが、経営上は同等、あるいはそれ以上に金融業を重視している。元々月賦百貨店であり、割賦販売のノウハウを蓄積していた。店舗においては自社カードによる分割払いを勧め、単に衣服を売る利益でなく、分割手数料を得ることができ、さらにカード会員によるキャッシングなどの融資事業からも収益をあげている。これにより流行や気候に左右されるアパレル販売だけでなく、カード・金融事業から安定した利益を稼ぎ出すことに成功している。現在はグループのカード事業は持ち株会社への移行に伴い、株式会社丸井とは分けられている。
本社は創業地である東京都中野区中野。中野駅北口の本社ビル、南口にグループ各社、マルイグループユニオン、マルイグループ福祉会、丸井健保組合などがある。
なお、北海道にある百貨店丸井今井との関係はない。

年表




店舗展開


概略


店舗展開としては長らく関東圏に限ってきたが、近年では関東圏を脱し全国展開を視野に入れている。
東日本では群馬県栃木県を除く関東地方、および静岡県に店舗をもつ。また西日本へも進出しており、特に近畿地方においては神戸三宮神戸マルイ)のほか、2006年9月22日には大阪難波にも進出(なんばマルイ)。
さらに東海地方へは、丸井本体としてではなく「インザルーム名古屋」として2007年1月20日名古屋・栄へ進出したが、2009年6月28日に閉店した。また近鉄パッセにテナント「スタジオゼロワン」を運営していたが、こちらも2009年9月に撤退している。
東北地方では2008年に丸井郡山店を閉鎖後、仙台にて自社ブランドのテナント出店やアウトレットストアの展開を開始している。
東京では中野本店が2007年8月26日に一旦閉店(2010年に再オープン予定。詳細は過去に存在した丸井の店舗の項を参照)。一方2007年10月12日有楽町駅前にオープンした新複合商業施設「有楽町イトシア」の中核店舗として有楽町マルイが新規開店している。
丸井には、駅前出店を基本とした多店舗化戦略を取っているイメージがあるが、その一方で新規大型店の開店に伴う小規模店舗の統合など、積極的なスクラップ・アンド・ビルド戦略を展開している。ただし、新店舗の開設を伴わない単純な不採算店舗の閉鎖も数多く行なわれている。また、業態変更によって実質「丸井」としての機能を廃した店舗(吉祥寺店キャンバス館→現・無印良品館、マルイビィ町田→町田モディ)なども存在する。
またプライベートブランド開発、SPA化、自社編集売り場など、旧来型の百貨店からの脱却を図る。また従来の画一的な展開から、商圏に適したきめ細かい展開に切り替えている。
既存店舗とは別の道を模索する動きも見られ、その一環として2007年5月に宅配大手のヤマトホールディングスと資本・業務提携を結び、在庫の調達管理から新たな通販ビジネス開拓への方針展開を目指す方針であると発表された。
現在多くの店舗の外観は「OIOI」マークを使用している。古くからある店舗の場合には、丸の右下が切れた形の「CICI」マークを使用している。また、関東・静岡地区で1990年代に開業した店舗の一部には「MARUI」マークが用いられているところもある。これは当時、エリアごとの店舗展開を模索し始めており、その際のイメージのひとつが形になったものである。

出店形態


新宿マルイの出店形態

2009年より「新宿21.1世紀」のコンセプトを掲げた以下の店舗には「新宿マルイ」の名称が入る。
「サード・プレイス」というテーマを掲げ、女性をターゲットにしたライフスタイル店舗。雑貨やサロン、カフェスイーツの他、屋上庭園「Q-COURT」を揃える。飲食店で注目なのが、日本初出店となるイタリアンジェラートショップ「GROM(グロム)」。
アネックスは英語で「別館」を意味する。女性をターゲットとする本館に対し、こちらは社会人男性をターゲットとしたライフスタイル店舗。メンズを中心にレディスやキッズ、雑貨やホビーなどを揃える。ユニクロも出店する他、「YEVS(イーブス)」が東京地区初出店。地下1階には食・本・音楽が融合したカフェ&バー「ブルックリンパーラー」が出店。尚、8階のレストランと9~13階の映画館「新宿バルト9」は以前のまま。
ファストファッション」をテーマとしたレディース専門店。店内にはユニクロやヴィレッジヴァンガードも出店。店舗名称のカレンとは、英語で「最新の」などを表す「Current」と、日本語の「可憐(Karen)」の2つの意味がある。
個性派ファッションの揃うレディース専門店。若手クリエイターの発掘・育成を掲げる。
メンズ専門店。アネックスから撤退した店舗がいくつか移転した。

旗艦店


丸井の本店は中野であったが2007年に一時閉店し、現在の事実上の旗艦店は新宿3丁目(伊勢丹前)の新宿通り沿いに2009年にできた「新宿マルイ本館」である。新宿には丸井が入居するビルが6棟存在し、積極的にスクラップ・アンド・ビルドを行うため、これまでたびたび店舗(出店形態)の移動があった。
出店形態ごとの立地の変遷

新宿3丁目の伊勢丹前にあったそれまでの旗艦店「マルイシティ」の建物はA館・B館をまとめて取り壊して建て替えることになったため、2007年2月9日にオープンした新宿3丁目の東映映画会館跡地の新宿三丁目イーストビル(新宿バルト9)と「新宿3丁目交差点前」(伊勢丹南東対角線上の建物。「フィールド」跡地)に分割して移転し、それぞれ、「マルイシティ1」、「マルイシティ2」と改称。旧「マルイシティ」の店舗は2009年4月24日に新宿地区の新たな旗艦店「新宿マルイ本館」として新規に開店した(詳しくは後述)。
「新宿3丁目交差点前」にあった「メンズ館」は、1998年9月に靖国通り沿いの「新宿5丁目交差点前」の旧・インテリア館に移転して「マルイメン」と改称している。
現在コメ兵がある伊勢丹東側の明治通り沿いに1992年9月に開店した「フィールド」(1984年4月開店のスポーツ館が前身)は、1998年9月に「新宿5丁目交差点前」の「マルイメン」の裏に移転した後、2004年に「新宿3丁目交差点前」の旧・マルイザッカ館跡地に移転し、さらに現在では「マルイヤング」の地下に移転している。
旧・フィールド跡地に1998年9月にできた「マルイワン」は、2005年3月に「マルイヤング」の5-9階に移転している。
「新宿5丁目交差点前」に1984年に開店した「インテリア館」は、1998年に一旦閉店した後に、2004年2月に甲州街道と明治通りの交差点の「新宿4丁目交差点前」の京王新宿追分ビルに「インザルーム」として再出店している。
マルイシティ地下1階に1990年に開店した「ヴァージンメガストア」は、京王新宿追分ビルに移転。その後経営不振で2004年1月に閉店、2006年には株式も売却され丸井の関連会社ではなくなった。
2009年は「新宿21.1世紀。」のコンセプトを掲げ、全店舗改装・リニューアルを行い、新たに「新宿マルイ」の総称が入る。まず2月20日にマルイシティ-2を「新宿マルイワン」へ、2月27日にマルイヤングを「新宿マルイカレン」へ、それぞれ一新した。また前述の通り4月24日には新宿マルイの新たな旗艦店舗になる「新宿マルイ本館」がオープンした。その他の既存店舗も順次改装を行っており、インザルーム新宿本店は4月24日にリニューアルが完了し、またマルイシティ-1・マルイメンが初夏から秋にかけて、それぞれ「新宿マルイアネックス」「新宿マルイメン」にリニューアルされた。ただし店舗名称はマルイ本館オープンと同日にいち早く変更された。なお、フィールドはマルイメン8階に移転したほか、女性向けランニング用品ショップをマルイ本館5階に、さらに9月からはアウトドア用品ショップをマルイアネックス7階に展開する。またマルイカレンは新宿3-17の路地にも別館がある。新宿ピカデリーの南側にある伊勢丹駐車場の裏だが、"OIOI"の看板とドアノブが見えるのですぐに見つかる。
立地ごとの出店形態の変遷

ニュー新宿店→ファッション館→マルイシティ→(取壊・建替)→マルイ本館
新宿店→ヤング館→マルイヤング→マルイヤング・マルイワン(その後フィールドも加わる)→マルイカレン
マルイカレン別館
インテリア館A館・B館→マルイメン・フィールド→マルイメンA館・B館/M&Cシステム本社(新宿5-16-8)
スポーツ館→メンズ館→マルイザッカ→インザルーム→フィールド→マルイシティ2→マルイワン
ヴァージンメガストア→インザルーム→2010年2月28日閉店
フィールド→マルイワン→(空家)→コメ兵(別会社)
(東映跡地に新築)→マルイシティ1→マルイアネックス


現在営業している丸井の店舗


社名 株式会社 丸井
英文社名 MARUI CO.,LTD.
ロゴ 280px
種類 株式会社
略称 マルイ、OIOI
国籍 JPN
郵便番号 164-8701
本社所在地 東京都中野区中野四丁目3番2号
電話番号 03-3384-0101(代表)
設立 2007年(平成19年)10月1日
業種 小売業
事業内容 小売業など
代表者 川下雄司(取締役社長)
資本金 1億円
売上高 単独:4,062億66百万円(2007年3月期・旧丸井の小売事業)
決算期 3月末日
主要株主 株式会社丸井グループ 100%
関係する人物 青井忠治(創業者)
外部リンク http://www.0101.co.jp
200px|枠幅
画像101CITY Shibuya.jpg|説明1
画像2Yurakucho Marui.jpg|説明2
画像3OIOI Kinshicho.jpg|説明3
画像4Marui Kichijoji.jpg|説明4
画像5KawasakiLeFront.jpg|説明5
画像6Dom 2573545719 cb92622ccb o.jpg|説明6
画像7MitoMYM.JPG|説明7
画像8Namba Marui.jpg|説明8


既存の商業施設にテナント出店している店舗については後述「自社ブランド」の項を参照。

東京都23区内


新宿マルイ本館
2009年4月24日、旧マルイシティ新宿跡地にオープン。
新宿マルイカレン(旧・マルイヤング新宿)
ヤング→カレン改装時にリニューアル、屋上壁面のOIOIロゴも現行デザインになり設置位置も変更。
マルイカレン別館(中野ビル1階)
STUSSYを取り扱っている。2009年11月にリニューアル。
新宿マルイワン(旧・マルイシティ新宿-2)
新宿マルイアネックス(旧・マルイシティ新宿-1)
2009年4月24日に店舗名のみ先行変更し、9月18日にリニューアルオープン。8Fにレストラン街OIOI The Dish。
新宿マルイメン(旧・マルイメン新宿)- △
2009年4月24日に店舗名のみ先行変更し、9月18日にリニューアルオープン。
マルイシティ渋谷
マルイジャム渋谷
Francfrancやヴィレッジヴァンガードも出店。2009年9月18日にはユニクロがオープン。
京成上野ビル内。京成百貨店から譲渡を受け開店。9FにOIOI The Dish。
都電錦糸堀車庫跡地。2009年9月18日にユニクロがオープン。(in The Roomは面積削減) 7Fに"錦糸町ダイニング 0141"がある。(形態的にはOIOI The Dishに近い)
当初はそごうの出店計画があったが断念し、ロビンソン百貨店との競願の末丸井が出店した。まるい食遊館がある。OIOI初のBLUE MOON BLUE出店。(※4階に入っている)

東京都多摩地区


OIOI初の駅ビル出店(1989年3月)

神奈川県


埼玉県


大宮駅西口共同ビル (DOM) 内。1983年開店。
草加駅東口の「アコス北館」のキーテナント。2009年4月25日リニューアル。1階~4階及び6階がアウトレットストア。
志木市による志木駅東口再開発ビル「フォーシーズンズ志木」の大半を賃借して出店。2000年2月開店。

千葉県


1996年2月に、柏駅南口徒歩1分程度の二番街商店街付近に新店舗を建設し、移転オープン。下記VATと区別するため、「二番街マルイ」「マルイ館」とも言われる。
柏駅東口駅前にある「柏駅前第一商業協同組合ビル」に、専門店街「ファミリかしわ」と共に入居している。1996年2月までは丸井柏店として営業。かつては、VATで商品を買うとついてくる、通称「VAT袋」を持つことが、周辺の中高生の流行でもあり、1つの特徴でもあった。

茨城県


水戸駅北口にあるショッピングビル「MYM」の2階以上。

静岡県


現在、外壁面の「MARUI」ロゴこそ残されているものの、外壁に付けられている看板は、改装当時のオレンジ色から他店舗同様の赤に変えられ、ロゴタイプも「MARUI」から他店舗同様の「OIOI」へ変更されている。

大阪府


兵庫県




過去に存在した丸井の店舗


東京地区


2007年8月26日閉店、建物を一旦取り壊して跡地に本社関連施設を建設予定であったが、地元の陳情を受け、「丸井中野店(仮称)」として、2010年冬(予定)に復活が決定。店舗と本社機能オフィスの複合ビル建設に計画が変更された。テレビ放送開始初期、中野駅前に日本テレビが設置した街頭テレビに観衆が群がり、見やすいとの理由で丸井本店の2階まで観衆が押し寄せ、2階の床が抜ける事故が起こったことがある。
大丸ピーコック中野店は休業扱い。
メガネ売場は「良眼工房byOIOI」として北口の中野5丁目に移転。
A館は婦人向け中心、B館は紳士向け中心の店舗構成だった。
成増名店街ビルにテナントとして入居していた。丸井退店後ビルは建て替えられダイエー成増店となっている。
現在は、マルイシティ池袋の5階に入居。元の場所はビックカメラ池袋西口店に。
2007年8月19日インザルーム新宿本店に統合、閉店。
大和銀行新井薬師出張所→現在は、GAIAに。
創業当時から存在した店舗。主に家具を扱った。1965年頃中野本店に統合、閉店。
閉店後はマルイアウトレットストア「下北沢オルタネイトキングダム (Altern8Kingdom)、「J-CREW」下北沢店などを経て「final index下北沢」として営業していたが、2008年9月28日に閉店。
現在は、外装をそのままに「コメ兵買取センター」となる。
現在は新宿マルイアネックスとしてオープン。名称のみ4月24日に変更し、内装は9月18日にリニューアルオープン。
現在は新宿マルイワンとしてリニューアルオープン。
現在は新宿マルイカレンとしてリニューアルオープン。マルイワン新宿は新宿マルイワンとして、マルイシティ新宿-2跡に移転。
現在はマルイジャムに名称変更。
現在は改装されシダックスとなっている。
2棟ある建物のうち1棟はパチンコ店として利用されているが、もう1棟は現在、日能研自由が丘校となっている。
2007年8月31日閉店。現在は、ヤマダ電機の都市型店舗「LABI品川大井町」となる。
改装され、現在は、ドン・キホーテJR蒲田駅前店。
町田モディとしてリニューアルオープン。
2007年8月12日閉店。その後、立川モディとしてリニューアルオープン。
パチンコやゲームセンター旅行代理店などの娯楽関連ビル「八王子ツインタワー」A館・B館に改装。
現在は、携帯電話ショップになっている。
西武の高速バス窓口となり、OKI製ATMは高速バス乗車券販売機に取って代わられた。
郵便貯金「髙田馬場駅前出張所」とともに撤退。現在は「眼鏡市場」に。
西新宿1丁目 - 国際証券→ゼロファースト→廃止→セブン-イレブンに。
西新宿7丁目 - 加藤ビル内→りそなクイックロビーに。
2010年2月28日閉店
その他、戦前東京都内に数店舗、クレジット専用センター(現在の“ゼロファースト”店舗とは別)として八重洲、新橋、赤羽など数店舗があった。

東京以外の関東地区


本館、きもの館。2003年閉店。現在はカラオケ、居酒屋、パチンコ店などが入居。『ぷらっと』になった。
1967年、池上町の駅前大通り沿い「中村第一ビル」1-3階に開店。1970年代に道路を挟んだ南側のビルとの2館体制となる(3階部分の連絡通路で接続)。1987年7月「売場のさらなる拡大は困難」として撤退した。閉店後、中村第一ビルの部分は地場の福田屋百貨店がDCブランド専門店「EFF」として1987年11月に開店したが7年で閉店。現在はテナントで近畿日本ツーリスト居酒屋が入居している。
本館、メガネ館、きもの館。なお現在本館は隣接しているスズラン前橋店新館。
熊谷駅北口ロータリー直結(バス3番のりば前)だった。1988年の閉店後も建物はそのままで1階にてゼロファーストを営業していたが、1990年代後半にゼロファーストと1店舗分のテナントを要する平屋建てに建て直した(携帯ショップが開業したが短期間で閉店し、空きテナントのままとなっていた)。ゼロファースト撤退に伴い、地元企業により8階建てのテナントビルに建て直された(2009年)。
2007年に川越モディとしてリニューアルオープン。
「赤いカード」登場直後の1961年に開店した丸井の古参店舗であったが、2007年1月31日に閉店。しばらく建物は未利用のまま閉鎖され、所沢市が再開店を要請していたが、2007年12月、丸井傘下のエイムクリエイツが管理する賃貸ビル「リ・クリエ所沢」(A館、B館)に業態変更した。A館には東急リバブルが入居。B館にはパチンコガーデン所沢店、東急リバブルラ・パルレ所沢店、アートネイチャー、安心ダイヤル所沢中央センターが入居した。現在もA館、B館とも一部改装中。A館プロペ通り側は閉鎖中。2008年5月1日、A館にDHC所沢直営店が新規入居。2008年7月1日、A館に河合塾マナビス所沢校が入居。地下駐車場は閉鎖。丸井営業時より入居している武蔵野建設株式会社(建築工事・不動産取引)は引き続き営業。
1980年代初頭まで駅西口交番そばに存在した。閉店後は洋服のアストリア浦和店となったが2001年4月に閉店。同年10月にプレバブ建てで「さくらや浦和駅西口総合館」がオープンしたが、2008年4月に再開発事業に伴う立ち退きを理由に閉店した。
本館、インテリア・スポーツ館。後者が先に閉店した。
最寄り駅は京成千葉線京成千葉駅(現千葉中央駅、現在の京成千葉駅は当時の国鉄千葉駅前駅)だった。
建物は改装され田原屋を経て、ザ・ダイソーギガ船橋店に。敷地面積2000坪と全国でも最大規模。
2007年2月12日閉店。後にはユニクロが出店し、ミーナ津田沼がオープンする。
横浜店馬車道館、イセザキ館。後者が先に閉館。馬車道館はマンションに建て替え。イセザキ館は改装され、マタハリーが運営するパチンコ店に。7階・8階には、2001年1月から2007年3月末まで、横濱カレーミュージアムが入居していた。
2006年9月末で閉店。「まるい食遊館」、レストラン街は営業継続、それ以外のフロアは、戸塚モディとしてリニューアルオープン。
かなり昔に存在していた小規模店。
1965年、大通り沿いでなく、当時の別館が開店。1975年、大通り沿いに、当時の本館が開店。現在はともに雑居ビルとして利用されている。
建物は改装されビックカメラ藤沢店に。
建物は改装され無印良品になるも、無印良品も2002年に閉鎖。居酒屋などが入居する雑居ビルに。
本館、インテリア館→BOX館。後者が先に閉鎖。BOX館は居酒屋などが入居する雑居ビルに。

静岡地区


静岡地区の店舗は昭和40年代にすべて開店しており、丸井の店舗の中でも古参であった。1990年代に入り一気に店舗の淘汰が行われたが、そのうち浜松店及び清水店の閉鎖は静岡店に経営資源を集中(前述のスクラップ・アンド・ビルド戦略の一端)するためであったとも言われている。
1966(昭和41)年開店、2004年5月閉店。建物老朽化と採算を理由に閉鎖。建物は解体済。跡地はホテルに。
1969(昭和44)年開店、2001年1月閉店。「静岡店清水館」を経て閉鎖。建物は改装されシダックスに。清水店は近隣の静岡店が当時の静岡市における大規模店舗出店調整などの絡みから増床が不可能であったことを踏まえ、静岡店の別館的存在でもあったと言われており、静岡店で取り扱えなかった商品はすべて清水店で扱われていた。また法改正などの影響を受けて静岡店の増床が可能となった後は、清水店で扱っていた商品の大半は静岡店へ移され、清水店は規模を大幅に縮小した上「静岡店清水館」となり、その後2001年1月に完全に閉店した。
1974(昭和49)年開店、1994年7月閉店。建物は解体済。跡地はビルになった。三階以上は駐車場、低層階にはエイデンが入る。現・コンプマート。

東北地区


2008年2月29日閉店。長年丸井唯一の北限店舗として、郡山市全体のステータス及びイメージアップとなっていた。リッチモンドホテルの入居希望を拒否してまで地権者は商業施設に拘っていたとされているが、閉店後の利活用は決まらず当面は巨大な空きビルになる見通し。撤退店舗では唯一側壁看板のロゴが現行の"OIOI"だった。(他は旧ロゴの"CICI"等。ただし屋上看板のロゴは"CICI"であった)

中京地区


2009年6月28日閉店。エポスカードのATMコーナーも撤退した。閉店後は改装され、同年10月23日にユニクロが開店。

関西地区


準備室のみ存在。JR高槻駅前の再開発ビルに出店予定であったが、その後出店を辞退。

かつての丸井の店舗網拡大の経緯


かつては同業の緑屋(現・クレディセゾン)との「出店競争」があり、関東圏から東北方面へ店舗網の拡大を目論んでいた時期があった。その際「東北進出の足がかり」として、郡山店を開店させた。
また緑屋が当時進出していなかった東海道方面(静岡県)へは、緑屋進出前に先手を打つという考えから沼津、清水、静岡、浜松の順で4店舗を時期をおいて開店させたという経緯があったといわれている。そのうち静岡店においては、「商業活動調整協議会」(商調協。自治体・商店街・出店企業が出店をめぐって調整・協議する場)の力がたいへん強かったことから、店舗面積にも大変厳しい注文がつけられた。結果として極めて狭小な店舗での出店を余儀なくされ、結果として隣接する清水店(当時の清水市ではここまで過激な反応はなく、むしろ出店を大歓迎されたとも言われている)を増床し、静岡店で扱えない商品を清水店や後に開店する浜松店(こちらも静岡店と違いかなり余裕のある床面積であったといわれている)にて展開していたという。
しかし、東海道線エリアでは戸塚・藤沢・小田原といった神奈川県内の店舗を含んで、浜松、清水、沼津は既になく、郡山店も閉鎖するなど、かつての店舗拡大も大きく軌道修正が図られている。
このほか、地方出店として、熊谷、前橋といった高崎線エリアや、宇都宮などの栃木エリアに進出していた頃もあったが、いずれも閉鎖に追い込まれている。
現在では本拠の首都圏において、南関東のターミナルを中心とした店舗展開を行い、同時に首都圏を脱し神戸や大阪、また関連事業を名古屋においてなど、西日本での店舗展開も進めるという「2つの流れ」が見て取れる。

森永レストランとの関係


少なくとも、昭和40年代後半から60年ごろにかけて、東京都心部の一部や地方の狭小店舗、また専門館を除いた全店舗最上階には「森永レストラン」が併設されていた。これは森永フードサービス森永製菓子会社)により運営されていたものと言われている。家族連れでも来店しやすい店づくりを狙ってのことではないかとも言われていた。
当時を知る者からは「デパート最上階のレストランフロアより、丸井最上階の森永レストランの方が思い出深い」との声が聞かれることもあると言われている。
しかし、昭和60年代後半に何らかの事情から順次森永レストランは閉鎖され、現在の丸井店舗に森永レストランが併設されているものは存在しない。


今後の出店予定


旧・中野本店跡地に2010年出店予定。


POSシステム




自社ブランド・外部出店


丸井が展開している自社プライベートブランド及びショップは下記の通りである。
など。

外部専門店


最近では自社ブランドを丸井だけではなく、子会社が運営しているモディや系列外のららぽーとなどのショッピングセンターにおいてテナントとして出店しているケース、及び単独店舗での出店が多く見られる。
テナントにおいても出店や業態変更、あるいは撤退を頻繁に行っており、特に仙台フォーラスに展開していたテナント5店舗は2009年8月までに全て撤退している。
南関東エリア

関西エリア

仙台エリア

アウトレットストア


自社ブランドを特別価格で提供する「マルイアウトレットストア」も各地で展開している。
閉店したアウトレットストア


丸井系ブランド


丸井系ブランドは主に国内のアパレルメーカーが若者向けに展開するブランドである。なお、以下のブランドは丸井のみならず百貨店などにも出店することがある。また、丸井系ブランドの中には有名なファッションデザイナーを起用し、ファッションショーで発表するブランドもある。また、女性用のブランドの中には、渋谷109ラフォーレ原宿などのファッションビルに出店しているものもある。
なお「丸井系ブランド」とは、単に主に丸井で展開しているブランドであるという意味のほか、ステレオタイプでだれが着用してもそこそこ似合うということをもじって、ファッショントレンドの先端をいく層から、やや皮肉と揶揄の意を込めて使われることがある。

レディスブランド


靴ブランド
家具ブランド

過去に存在したショップブランド


家具ブランド


丸井のクレジットカード


日本初の「クレジット」


丸井を語る上で欠かせないのが、クレジットカード「赤いカード」の存在である。
丸井はもともと月賦百貨店割賦販売による月賦払いを中心とする小売店)であった。1960年に日本で初めて月賦払いに「クレジット」という名称を付け、アメリカから機器を輸入し「クレジット・カード」「クレジット・プレート」の発行を開始した。これは今日のクレジットカードと同一のものではなく、上顧客への月賦払いの会員証という位置づけであった。このカード、プレートは、エリート、スマートの証として特に若年層の受けがよく、販路拡大にも貢献した
当時は口座自動振替のシステムもなく、返済方法は店頭で直接支払うか集金員に直接支払うシステムのみであった。この集金=「回収」作業において、支払い延滞者への督促行為が時にサラ金まがいの強引な手法となることがあった。当然、現在であれば大きな問題となりうるものであるが、当時はまだ「借りたものは返すのが当たり前」という解釈の下そういった行為が許されていた時代でもあった。振込みによる返済が一般的になった現在でも、セゾンカード百貨店のクレジットカード同様に、店頭のカードカウンターへ出向いての返済が可能である。

ハウスカードから国際ブランドへ


長らく丸井グループと丸井店舗周辺の加盟店のみ扱えるハウスカードの立場を固持してきたが、1990年代初頭にDCカード及びJCBと提携・一体化した「エムワンカード」を発行する。世界中の加盟店で利用できるようになったが、当時の入会審査の厳しさ、また支払回数の制限などもあり、あまり発行されずに終息した。
1994年にハウスカードの名称を「マルイカード」に変更したが、2000年に元の「赤いカード」に戻した。
2001年にクレディセゾンとの提携によって、赤いカードとセゾンカードを合体した『赤いカード《セゾン》』を発行開始したものの、利用加盟店が赤いカードの加盟店か、セゾン及び付加国際ブランド(VISA・Master・JCB)の加盟店かによって、請求が丸井からの分とセゾンからの分に分かれ、支払方法やサイクルも全く別であるなど使い勝手が悪かった。
2004年10月にカード事業を分社化し連結子会社の株式会社マルイカードを設立し、VISAのスペシャルライセンシーを取得。2006年3月に長年に渡って親しまれた「赤いカード」に代わり、社内公募によって決定された「エポスカード」(EPOS CARD) を新ブランド名として採用。ハウスカードから脱し、VISA付帯で汎用性を高めたICクレジットカードへと衣替えした。同時に社名も株式会社エポスカードへ変更されている。

キャッシング


1981年に赤いカードでキャッシングサービスが開始。現在ほとんどの「赤いカード」・「エポスカード」で融資枠が設定されており(未成年者はショッピング専用カードとして発行)、グレーゾーン金利上限に迫る高利のキャッシング利息収益で長い間本業の(分社化した現在は連結)収益の一大部分を占めている。
丸井のカードは店舗従業員のノルマ達成のため、無職者や学生、低所得者層でも店頭で容易に発行されてキャッシングに使えることから、借り逃げなどの貸倒件数・金額によってはその年の業績にマイナス影響を与えるものとなり、「小売店の顔をした消費者金融」と呼ばれることもしばしばある。実際に、グレーゾーン金利撤廃以前のクレジット・消費者ローン事業の営業利益額は物販事業のそれを大きく上回っていた。また、カード勧誘のための「丸井のカードはお持ちですか?」のフレーズは丸井店舗での買い物精算時のいわばお決まりの儀式となっており、その勧誘行為のエスカレートがカードを嫌う層等から丸井での買い物を遠ざける一端ともなっていた。
しかし最近では、提携カード化にともなう発行基準・与信の厳格化により以前のような無秩序なカード発行はなく、また、丸井内部での評価制度の見直しなどから、こうした行き過ぎ感のある勧誘などもほとんど姿を消した。


雇用体系


管理職以外のプロパー社員ほぼ全員を丸井子会社に転籍させ賃金改定する大胆なリストラを2003年に実行。丸井の各ショップで働く従業員は、丸井に属さず取扱商品やサービスに応じた販売子会社から「派遣」(労働法上の人材派遣ではない:後述)される形態をしばらくとっていたが、現在は、一部の子会社でのプロパー採用社員を除き、持ち株会社「丸井グループ」に再び人員と雇用を集約したうえで、旧販売子会社を祖とする後述の社内カンパニーでの勤務(店舗での商品販売など)をする形となっている。

従業員の転籍施策に纏わる諸問題


在籍社員の95%(5,100名:当時)を子会社に転籍させ、消費者ニーズに応え専門性を高め、経営資源の選択と集中を図るという大英断は、実施当時、株主や経済界からは一定の評価を得、同時に人件費の高騰と売上減少に悩む小売業界関係者から大いにその成否が注目された。しかし、その一方で、この改革を前後に発生した出向と転籍を繰り返す雇用形態の変更、それに伴う人事制度・給与体系等の度重なる見直しによる混乱、及び、完全成果型報酬体系がもたらす極端な年収のアップダウンにより生活設計がたてにくくなったことなどを理由に、旧来の丸井時代から会社を担っていた正規従業員らのモチベーション低下と多数の優秀な人材の外部流出を招いたといわれる。
また、当時の運営形態は各販売子会社と丸井本体との「業務委託契約」によるアウトソーシングの形であったが、実体として販社社員に対し丸井本体の管理職(店長・副店長など)が直接指揮命令を行っており、これが、いわゆる偽装請負にあたっていた可能性がある。もっとも、これは派遣法の理解不足や見解の相違がもたらした結果であり、製造業等で多発していたような最初から故意に違反行為を承知で実施した施策ではなかった。また、実際に勤務していた販社社員にはこういったビジネスモデル的な説明は転籍に際して事前にほとんどされておらず、それまでの勤務形態と比較してなんら変化を感じるものではなかったため大きな問題にはならなかった。なお、事務代行を主なサービス領域とするマルイスマートサポートなど一部の子会社を除き、丸井本体及び販売系子会社は一般・特定を問わず労働者派遣事業の許認可取得・届出はしていない。
その意味では、今回の雇用形態の再転換は事業再編による組織力の強化という目的の他に、こういった諸問題の解消という狙いが含まれていると推測される。一部の革新系政党や労働団体まで巻き込んで議論がなされた一連の転籍騒動については、現在まで、当時の関係者も含め失敗であったと認める発言等は公式の場では見られない。一説には、この施策に不満を持ち早期退職していった人材数が会社側が当初想定していたものより遥かに多かったという現実に当時の青井忠雄社長が激怒し、施策の推進に大きく関与した関係役員を更迭したといわれるが、その因果関係は定かではない。
しかし、“失われた5年間”に浪費した貴重な時間・資金、そして何より従業員のモラールダウンにともなう販売力の低下という大きな損失を招いてしまったことは否めない。同業他社を含めた大手小売業でこの改革に追随した企業はなかった。


関係会社


株式会社「丸井」及び持株会社「丸井グループ」内における、社内カンパニーと関係は以下のとおり。小売事業の他、グループの他の2事業についても触れる。
小売事業
パレット(旧・株式会社マルイパレット、婦人雑貨などの製造・販売)
エムズモード(旧・株式会社マルイエムズモード、紳士靴・紳士雑貨などの製造・販売)
ファッションナビ(旧・株式会社マルイファッションナビ、婦人服などの製造・販売)
アクセス(旧・株式会社マルイアクセス・株式会社マルイフォードットウォッチ、ジュエリー・メガネ・ウォッチなどの製造・販売)
フィールド(旧・株式会社マルイフィールド、スポーツアイテムなどの製造・販売)
インザルーム(旧・株式会社インザルーム、家具・インテリア雑貨などの製造・販売)
シーズニング(旧・株式会社マルイシーズニング、食料品の販売・レストランの運営)
ヴォイ(旧・株式会社マルイヴォイ、Eコマース・通信販売事業)
アウトレット(旧・アウトレット・催事部、店外催事およびアウトレット店舗の運営)
カード事業
小売関連サービス事業
※ヴァージン・メガストアーズ・ジャパンは、2005年3月31日に全株式をカルチュア・コンビニエンス・クラブへ売却。
※マルイ旅行センターは、パシフィックツアーシステムズ[JTB子会社、元セゾン系)へ吸収合併、解散している。

ゼロファースト


1991年に消費者金融専業会社「ゼロファースト」(現在エポスカード子会社)を設立し、都市部の駅近くや繁華街のビル1階もしくは平屋建てに店舗を構え、ゼロファースト・丸井のカードのほかにクレジットカード信販会社・消費者金融・郵便貯金カードが扱えるATM(店舗によっては24時間稼働)を複数台設置するなど独自に事業を行うが、丸井のカードによるキャッシング・入金(弁済)も行う点から、丸井店舗が撤退した地域にゼロファーストを出店する傾向がある。
なお、社名の【ZERO-FIRST】からも分かるように、丸井の0101が由来とされている。また、同社は消費者金融事業の他に、以前は当時の中野本店内に入居していたボウリング場(マルイボウル)の管理運営も行っていた。
2006年11月、丸井はゼロファーストの事業を大幅に縮小すると発表した。これは「貸金業法の改正による逆風やグレーゾーン金利の撤廃により貸付上限金利が引き下げられると、有人店舗の採算がとれなくなる」との判断によるもので、具体的には新規顧客の受け付け停止、関東(静岡含む)に74ある消費者ローン店舗の約7割を段階的に閉鎖する(有人店舗46店を順次無人化し、最終的に無人店舗すべてを閉鎖)というものである。都内の主力15店舗は一旦エポスカードに移管したうえ存続させるが、将来的には廃業も選択肢に含まれているという。


海外発展


2007年12月に海外向け通販サイト、MARUIONE.JPが立ち上げられた。日本語、英語、フランス語の3か国語で運営されている。「クールジャパン」のコンセプトを基に、ロリータゴシックを含む日本のストリートファッション、漫画・アニメグッズに加え、伝統工芸品なども取り扱っている。同時に立ち上げられた姉妹サイトLiveJは日本についての情報を提供している。


宣伝活動


テレビ


丸井はテレビを宣伝媒体として積極的に利用してきた。昭和40年代前後には在京局すべてで夜の「スポーツニュース」(当時は5分程度の短いものだった)に番組提供を行い、知名度向上に努めた。日本テレビの「スポーツニュース」(関東のみ、地方によって違うスポンサーが提供)や、『キャッチアップ』(後述)打ち切り後新たに編成された『スポーツホットライン』(TBS)への番組提供がその名残である。
知名度向上とイメージ重視の戦略から、1990年代前半までは在京局や関東独立局のミニ番組を各社延べ102本提供(すべて一社提供)していたほか、丸井が進出していた静岡・福島地区でも地元局のミニ番組(ニュースや天気予報など)に提供するケースがあった。
当初提供していた番組には30代以降をターゲットとしたものが多く、中高年の夫妻を紹介する『ひとりよりふたり』『われら夫婦』(日本テレビ)、『あの日あの時』、『ヨーロッパ発あなたへ』(フジテレビ)、『スポニチ芸能ニュース』→『世界あの店この店』(テレビ朝日)、『各駅停車世界の旅』(テレビ東京)などがあったが、1980年代中頃に入ってからは20代を主軸に置いた番組(下記参照)へシフトしていくようになり、番組内での丸井とのタイアップ(連動企画)も多くなっていった。
若年層を主対象においた主なミニ番組としては、トレンド情報番組『キャッチアップ』(TBS)、当時流行の洋楽ビデオクリップを紹介する『丸井サウンドロフト』(フジテレビ)、ニューヨークのトレンドを紹介する『ニューヨーク情報』(テレビ朝日、末期は富士通と代わり後番組の『世界の車窓から』に引き継がれる)、丸井の旅行部門とタイアップした海外旅行のガイド的番組『Zip's』(テレビ東京)、そして最新の洋楽ヒットに乗せ世界のスポーツ映像を見せる『SPOPS』(テレビ神奈川)など。他にもフジテレビでは『サウンドロフト』の後番組として、大学サークルの紹介番組『ライフサイズTV コンパス』、東京の街そのものをゲームの舞台とした『チキチキバンバン』、有名人が好きなものを10個選ぶ『パーソナル・カウントダウンTen』、東京で暮らす若者の部屋にスポットを当てた『ROOMS』など、意欲的かつ評判を呼んだ番組も制作されていた。
一般的な認知度が関東地区を越えて、全国規模になるのは1979年にテレビCMで「好きだから、あげる。」が爆発的な反響を呼んだことで、当時、春の商戦では高島屋三越といった老舗百貨店にならぶ売り上げを記録した。ちなみに「好きだから…」のコピーを書いたのは、「コピーライターの神様」と称される仲畑貴志である。
丸井のCM展開は1990年代前半までは「番組提供」が主であり、その中で丸井オリジナルブランドやインテリア、そして季節商品の単独イメージCMや「赤いカード」の告知など、さまざまなジャンルのCMを効果的に組み合わせていた。また関東エリアのヤング館共通CMや池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)、新宿インテリア館(のちの「イン・ザ・ルーム」)単独CMなども頻繁に流された。さらに4店体制が長く続いた静岡地区でも「静岡限定」として「静岡4店イメージCM」が作られたことがある。これは放送期間は短かったものの、TBS系の静岡放送では「静岡新聞ニュース」での番組提供時に頻繁に放送されていた。
新店の開店や既存店の新装開店などでは、それぞれの店舗立地のイメージに近い告知CMが多く作られた。例えば「京成百貨店」から経営譲渡を受け新規開店した上野店(現・マルイシティ上野)では、近接する浅草の「三社祭」をイメージしたもの、浜松店(既に閉鎖)新装開店時には浜松まつりの「凧揚げ」をイメージしたもの、藤沢店(既に閉鎖)開店時には湘南をイメージしたものなど、凝ったCMが数多く作られた。
「丸井試写会」(後述)についての告知CMも、提供番組内で流されていた。丸井店舗があり、番組をネットで受けていた静岡・福島地区では丸井の別のCMに差し替えられていたが、昭和50年代の静岡地区では差し換えをせず、そのまま放送されていた。
しかしバブル崩壊をきっかけに様々な事情が絡み、1990年半ば、レギュラー番組への提供からはすべて撤退した。一説には「番組提供として出している費用が、本来の番組制作にあまり使われていない」という事実を知り、比較的費用が安く上がるスポットCMへほぼ全面的に移行したことが、番組提供撤退の理由ではないかと推測する向きもあった。その後、単発番組へ散発的な番組提供へ移行し、現在はスポットCMを放送するのみにとどまっているが、その後は一時のようなセール告知だけを行う地味なCMばかりでなく、有名タレントを起用したり、シーズン特性や流行に応じたファッション性の高いCMも再び製作されるようになってきている。
東海地区ではインザルーム名古屋の単独CMが、同店が開店してしばらくの間だけ制作・放送されていた。関連事業であり丸井本体の進出ではなかったことから、OIOIロゴは一切表示されていなかった。
なお丸井のCMはラジオも含めほぼすべてが「エイムクリエイツ」(旧・丸井広告事業社)によって現在まで制作されている。
池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)のCMソングは、大瀧詠一が制作し、歌唱もしている。これはスポーツ館店内でも掛けられていて、レコードやCDでは店内で掛けられていたフルバージョンで収録されている。

ラジオ


ラジオでの広告展開もFMを中心に行っており、関東地区での民放FM多局化以降、FMヨコハマ「MARUI 24CLUB」(TFM「JET STREAM」の当時の裏番組)を始め、数局で番組提供を持った。
また、昭和50年代半ばに 文化放送にて「パンプキンパンプキン」(PN:加藤タキ)という女性向け15分の深夜番組を提供していた。初期は試写会のお知らせ以外のCMなし。後期はプレゼントコーナーで尾崎亜美の「FOR YOU」(「好きだから あげる」キャンペーンソング)のBGMを使用しプレゼント商品を告知することにより実質CMにしていた。

映画試写会


宣伝活動のひとつとしての「丸井試写会」(会場:中野サンプラザ)も定期的に行われていた。チケットは都内主要店舗で配布されていたが、晩年は余程の話題作でもない限り話題になることは少なかった。しかし、会場のお膝元である当時の中野本店では、スパークリングセールなどの催事以上に、試写会チケット争奪のために長い列ができるといった現象が起きるほど人気を博しており、試写会の終了は多くの地元住民から惜しまれた。創業地でもあり地元に密着した中野本店ならではの光景であり、いったん閉店した同店を住民の声に応じて再開店させるという施策にもつながっている。

スポーツ


1980年代、サーフィンの大会スポンサーに積極的に進出。千葉県九十九里海岸で毎年開催されていた丸井プロサーフィン世界選手権は、多年度に渡って冠スポンサーを務め、「丸井プロ」の通称で非常に有名であった。また、他に開かれていたウィンドサーフィン大会にも後援や冠スポンサーとしてかかわることが多かった。
ちなみに、この時期には日本たばこ産業が後援するサムタイムワールドカップ静岡県御前崎で開かれており、サーフィン愛好者からは(広義の関東エリア内での大規模サーフィンイベントとして)「西のサムタイム、東の丸井」などと持てはやされていた。

印刷媒体


丸井店内では1980年代まで、テレビでの宣伝活動と平行して月刊のフリーペーパーも配布していた。内容は、取り扱いブランドや商品の情報、着こなしの提案と丸井自体のお知らせなど。また当時店舗網の拡大を進めていた時期でもあり、新店情報や一部タウン情報的なものも掲載されていた。このフリーペーパーは1990年代に入り、通販カタログ(Voi・Men's Voi)やカード明細への添付パンフレットに形を変えていくこととなる。

その他


1980年代に活動していたコントグループ、コント赤信号の持ちネタとして、リーダーの渡辺正行が服装をほめられた際に「丸井だぜ!」と赤いカードを出してずっこけるというギャグがあり、丸井の名を間接的ながら高めることとなった。


CM出演経験のあるタレント・モデル


男性


など多数

女性


など多数


外部リンク


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