TOP > ダニエル・イノウエ
| 現年齢 | 85 |
| 生年月日 | 1924年09月07日 |
| 各国語表記 | Daniel Inouye |
| 画像 | Daniel Inouye, official Senate photo portrait, 2008.jpg |
| 画像説明 | ダニエル・ケン・イノウエ |
| 国略称 | USA |
| 出生地 | ハワイ州ホノルル |
| 出身校 | ハワイ大学マノア校 ジョージ・ワシントン大学 |
| 所属政党 | 民主党 |
| 配偶者 | マーガレット・シノブ・アワムラ(1949-1996、死別) アイリーン・ヒラノ(2008-、全米日系人博物館館長) |
| サイン | Daniel Inouye Signature.svg |
| ウェブサイト | http://inouye.senate.gov/ |
| サイトタイトル | United States Senator Daniel Inouye |
| 国旗 | USA |
| 職名 | アメリカ合衆国上院議員 |
| 選挙区 | ハワイ州 |
| 就任日 | 1963年1月3日 |
| 国旗2 | USA |
| 職名2 | 委員長 |
| 就任日2 | 2009年1月3日 |
| 国旗3 | USA |
| 職名3 | 委員長 |
| 就任日3 | 2007年1月3日 |
| 退任日3 | 2009年1月3日 |
| 国旗4 | USA |
| 職名4 | 委員長 |
| 就任日4 | 2001年6月6日 |
| 退任日4 | 2003年1月3日 |
| 国旗5 | USA |
| 職名5 | 委員長 |
| 就任日5 | 2001年1月3日 |
| 退任日5 | 2001年1月20日 |
| 国旗6 | USA |
| その他職歴1 | 委員長 |
| 就任日6 | 1987年1月3日 |
| 退任日6 | 1995年1月3日 |
| 国旗7 | USA |
| その他職歴2 | 委員長 |
| 就任日7 | 1975年1月3日 |
| 退任日7 | 1979年1月3日 |
| 国旗8 | USA |
| その他職歴3 | アメリカ合衆国下院議員 |
| 就任日8 | 1959年8月21日 |
| 退任日8 | 1963年1月3日 |
ダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye、漢字: 井上 建、1924年9月7日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。元アメリカ陸軍将校。上院議員。第二次世界大戦時は、アメリカ陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受けた。アメリカ陸軍での最終階級は陸軍大尉。
プロフィール
生い立ち
1924年に日本人移民の両親の元、当時アメリカの準州であったハワイのホノルルで生まれる。その後ホノルルの高校を経てハワイの名門大学であるハワイ大学マノア校に進学した。
第442連隊の英雄
ハワイ大学在学中の1941年12月に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦した後は日系アメリカ人として人種差別待遇を受けるものの、アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦う。
フランスにおけるドイツ軍との戦いにおいて右腕を失うものの、多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国し、日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられる。陸軍大尉で退役後、ハワイ大学に復学し1950年に同大学を卒業しBA Government and Economicsを得、その後J.D.を得るものの、右腕を失ったことにより、当初目指していた医学の道をあきらめることになる。
日系人初の上下両院議員
その後は政界に進出し、1954年には準州であったハワイ議会の議員に当選した。1959年には民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員となる(1959年-1962年)。
その後、1962年には上院議員となり(同じく第442連隊戦闘団員であったスパーク・マツナガも下院議員に当選する)、戦時補償法の制定などに尽力する傍ら、1973年にはウォータゲート事件と1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委委員長となり注目を浴びる。アメリカ軍の予算に大きな権限を持つ上院歳出委員会国防小委員会の民主党長老議員として、エリック・シンセキ大将の陸軍参謀総長就任に尽力している。
現在
現在も民主党の上院議員として上院歳出委員会の国防小委員会で上級委員を勤める他、カリフォルニア州ロサンゼルスの日本人街リトル・トーキョーにある全米日系人博物館の理事長を勤めるなど活躍を続けている。2000年6月21日に、陸軍殊殊勲十字章、銅星章の受賞理由が見直され、軍人の贈られる最高位の勲章である名誉勲章を受章したほか、2007年11月、フランス政府からレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を授与された。
イノウエは、1980年代に、日米間の貿易摩擦が政治問題化した際には、リチャード・ゲッパートなどと共に、対日批判の急先鋒として立ち回ったが、現在は日本に対して融和的で、中華人民共和国や韓国が主張する「従軍慰安婦・強制連行説」に立脚するアメリカ合衆国下院121号決議に反対し、この動きが上院に波及しないよう牽制した。
なお1996年に前妻と死別し独身となっていたが、2008年1月29日に「全米日系人博物館」館長 アイリーン・ヒラノと再婚した。また、2008年アメリカ合衆国大統領選挙においては、ヒラリー・クリントン上院議員を支持していた。
栄典
著書
- 「ワシントンへの道」(原題:Journey to Washington)
関連項目
外部リンク
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